北海道大学自転車競技部の練習日記

北海道大学体育会公認の自転車競技部の練習日記です。部員がそれぞれ記事を投稿していきます。

豊羽サイクルロードレース

こんにちは、いよいよ顧問の藤井先生にもゴリラと呼ばれるようになった二階堂です。ちなみにピチマのあっしーさんには(ゴリラ→霊長類→)吉田沙保里と呼ばれるようになりました。ある意味光栄です。

レース前
レース前の1週間はひたすら負荷をかけすぎず心拍は9割とかまで上げたりはするも完全に追い込むということはしないようにしてみた。これが吉と出たのかはわからないがレース直前のアップではいつもよりかなり心拍が低く、逆に上がらないので焦ったが調子が良いということにしてスタートラインへ。

レース中
スタートは前から2列目で十分良い位置であった。道新杯の理事長杯でエリートにおける高速度域でのコーナーリング等の走りのレベルは確認できていたので特に不安はなかった。スタート後の1周目の下りはさすがに確認がてらそんなにペースが上がらなかったのでだいたい前から3番目〜10番目の間をキープできた。折り返して登りに入るとさっそく集団は分断されていたが、この時はそんなにタイム差もなかったが折り返し後の登りは誰かしらがペースを上げたり下げたりのインターバルが続きまた大きな集団に戻ることはないだろうと確信した。とは言えど、1周目の登りと2周目の下り&登りはそんな殺人的なペースではなかった。事前に片桐さんから半分くらい集団に食らいつき、それからグルペットで走るという展開ならば完走できると聞いていたので、これならなんとかいける…‼︎と思っていた3周目の下りでリアがパンク。当時補給のためにたまたま後ろにポジションを下げていたことで集団中の誰にも迷惑かけなかったのが不幸中の幸い。スローパンクというほどスローではないがリムを酷使しつつ前に進めたのでサポートのとこまでゆっくり走っていきがーすーさんと石田さんにリアを交換してもらった。下り途中だったということもあり、自分が折り返し地点に行った頃にはもう先頭集団と3〜5分差(自分の記憶が曖昧)がついていた。落ち着けと自らに言い聞かせたが、その時レース前の亜門さんの言葉を思い出した。内容は、去年の地域別では最終的なグルペットと先頭のマージンがラスト1周までのマージンの倍になったというものだ。ぞっとしながらひとまず第2集団を待つが全然来ない。結局折り返しから登りの後半までそこそこゆっくり走ってようやく三輪さんたちの4人の小集団がきた。そこに合流して登頂し、下ってから折り返し登り始めた時に大腿四頭筋ハムストリングス、内転筋、腸腰筋が死亡。ここからは地獄の旅だった。何個かの小集団についていっては攣ってを繰り返し気がつけば6周目で最終集団にのまれる。最終集団のペース的に完走できるペースではなかったが足が全攣りでそれすらついていくのは厳しいだろうと思った。実はこの時、補給地点で自転車から降りようと思った。しかしパンク時急いでリアを交換してくれた先輩方、補給を渡してくれたり用意してくれた後輩やちゃらんけの方々のことを見て、この足がもげるまで走り続けようと決意。完走の確率はゼロではないと奮い立たせ、自分と同じような状況のリンダの柳さんとお互いの状況を少しだけ話した。OS1を飲んだおかげか足がかろうじて動くので、たれながらも登っていると後ろからまた柳さんがあがってきて2人でぎりぎりのペースで登っていった。結果、登頂したところできられた。

課題点は、100km超えのレースでの補給の内容である。あとはラインの選択だろうか、当たり前だが段差のない道をできるだけ通るということは今までよりもっと高い意識を持つべきだろう。パンクであろうがなんだろうが、いかなるトラブルでも自分に全く非がないということはないはずだ。
他にもあるはずなのだが、途中でパンクしてからは一人旅が多くてなんとも言えない部分が多い。
良かったのは、下りで不安なく走れたことと補給をミスなくスムーズに受け取れたこと。

色々感じることが多いレースだった。この日記に書いたことはほんの一部である。
ここからまた切り替えて、今週末の留萌ヒルクライムTTと来月のサロベツでしっかり結果を残しもっともっと強くなる。

最後になりましたが、サポートしてくれた方々には感謝でいっぱいです。本当にありがとうございました!