北海道大学自転車競技部の練習日記

北海道大学体育会公認の自転車競技部の練習日記です。部員がそれぞれ記事を投稿していきます。












忘れた頃にやってくる、ツールド北海道のレースレポート。(地道に書き溜めておいた)
 
第2ステージ  
 
川湯温泉鹿追町 210キロ
 
昨日200キロ走って、今日も200キロ…。まず20キロ過ぎから始まる平均勾配8パーセントで一気に650メートル登る津別峠が待ち構える。そこからの180キロは平坦基調ではあるが、展開次第によって天国にも地獄にもなるといったところ。昨日の地獄のステージによって多くの選手の足がかなりやられていたようで、結局この日は楽な一日となった。
 
スタート前に少し自転車で走ってみると、足が棒のようになってまったく踏めない。まさに風前の灯火。そんな感じでかなり弱気になっていたのだが、道選抜の菊池さんにオイルを塗ってもらうと足が燃え上がるようにスイッチオン。昨日のマッサージと秘密兵器?により瀕死の足は不死鳥のごとく復活し、戦闘態勢へ。
 
スタートが切られるとすぐに日本人だけの逃げが決まる。リーダージャージを手にした西薗選手擁するシマノが集団のペースをコントロール。湖畔のコースを平和なペースで集団は津別峠に向かう。監督の選手時代にも津別峠が組み込まれたことがあるらしく、大体の峠の様子は事前に把握。峠に続く道は曲ってからすぐに道が狭くなり登りが始まること、終盤ゆるくなったりすることなど。津別峠に近付くと集団では激しいポジション争いが行われる。サイドから抜いて前に位置取りしても、すぐにサイドからかぶせられて後方へと追いやられてしまう。コース両脇でぐるぐると選手が入れ替わるポジション争い。たぶんヘリコプターから見ていたらすごく楽しい状況だったに違いない。そんな感じで集団は津
別峠へと突入。
 
登り始めは集団はそれなりのペースだったのでなるべく前方へと位置を上げる。程なくしてNIPPOの外人選手が腰を上げると、集団も戦闘ペースになって長い列になる。自分は20〜30番くらいで位置取りして登っていた。そこまできつくないのでペースはそんなに早くないのかなとか思っていたのだけど、平均8パーセントの峠を23、4キロくらいで登っていてビックリする。「やっぱプロは違うなー」と感心していると数人前でぶちぶち千切れている。無理をすれば前に追い付ける余裕はあったのだけど、この先の長丁場を考えてここは集団でパスするのが一番楽だと判断し、しばらく自分のペースで登ることにする。後ろから来た集団が30〜40人の集団がきて、実業団選手に「集団で登る方が楽だぞ」と声をか
けられたのでそうすることにする。この集団は「昨日疲れたので今日は無理しないよ」といった様子で実業団選手も多い。みんな前に出てペースを作りたくないのかゆっくり上っていても先頭に位置取りできる(15キロくらいになっていて笑う)。集団先頭は学生ばっかり。後ろの実業団選手は完璧に温存モード。やはりみんな昨日でかなり疲れている様子だ。
 
津別峠の下りを終えると、リーダージャージ擁する集団もペースを落として合流してきた。数名の逃げを容認して、今日は集団で安定した展開にしたいようだ。 ここから第2KOMまではのどかな風景を平和にレースが進んでいく。補給も集団の前に出て余裕をもって受け取れた。例の発狂しそうなガタガタ道を進むが、選手達は昨日と違う平和なペースに談笑する余裕がある。しかし、いざKOMのNHK鉄塔前への登りが始まるとまたしてもNIPPOの外人が腰を上げ、一気に集団は戦闘モードへ。勾配がきつくなればなるほど得意分野になる自分としては、ゆったりとしたこの登りはあまり好きではないのだが、余裕があるので問題なくついていく。逃げていた面々と、集団から飛び出した選手が合流して先頭集団を形成
してKOM へと突き進み、メイン集団はこれを追う。先頭集団は力のあるメンバーだったが、登りといえど風の吹きつけるこの地形では大集団が有利、KOMを過ぎて程なくして集団は一つになった。
 
HSを超えて活性化した集団はゴールに向けて戦闘モードへ。集団から三名が飛び出すが、北海道の見通しの良い平坦路では逃げ切りは難しいといった様子。ゴールスプリントに向けて実業団チームが安定したそこそこ速いペースで逃げを泳がせてゴールに向かう。ここらで何か次の動きに向けて準備したいところだが、あろうことか自分のおなかの調子が悪くなってきた。ピットインの甘いピーチ味が腹の奥から口へとこみあげてきそうになる。が、何とか踏ん張る。足はまだ余裕があるのだが、とにかくおなかの調子が悪いのでそれどころではない。早くゴールしたいと念じながらペダルを回す。同じような風景が延々と続き発狂しそうになる。結局逃げが決まり、とくに動きのなかった集団はそのままスプリン
トへ。ゴールへと、いやトイレへとたどり着いた。ゴール後プロテインバーやその他回復食を吐きそうになりながら摂取。もう意識は明日のステージへ。
 
 
ダウン後、今年も北海道新聞の取材を受けたので適当に答えておく。(記事はまだ見てない)
 
 
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所変わって、レース後の車内(何故か鮮明に覚えている)
 
 
監督「冨岡ってパンクも落車もしないよな〜」
 
冨岡「そうですね」
 
監督「持ってるな〜」
 
冨岡「そんなこと言ってると明日何か起こるかもしれませんよ(他人事) 笑」
 
 
…今考えるとフラグが立ちすぎでした。
 
そして運命の第3ステージへ。