北海道大学自転車競技部の練習日記

北海道大学体育会公認の自転車競技部の練習日記です。部員がそれぞれ記事を投稿していきます。

ツールド北海道第3ステージ 占冠〜野幌森林公園

 

2008の合宿で似たコースを走っているが、今回は激坂の馬追山が二個目のKOMに控える。あのとき、野幌森林公園にゴールした時も雨が降っていた記憶がある。下り基調のコースで高速レースになると予想はしていたが、そこまできつくはならないだろうと思っていた。しかし、今日は最後のラインレースとあってNIPPOShimanoに総攻撃を仕掛け、強い雨も相まって一番荒れたステージになった。

 

スタート前はいつも通りの行動でレースに備える。かなり寒いためか、いまいち足の調子がわからない。いくら優しい展開と言っても昨日は210キロ走っているのでその疲れがどう出ているかは不明。菊池さんにスパイス入り?のマッサージオイルを塗ってもらう。「今日もいけるよ」と元気づけていただき、戦闘モードへ。とりあえずベストな状態で送り出してもらっている手前、何が何でもゴールにはたどり着くぞと気合を入れる。サイズの合っていないためバタバタするレインジャケットを着ようかすごく迷ったのだけど、結局着ていくことに決めた。

 

占冠中をスタートしたプロトンは程なくリアルスタートを切った。このステージは最初から全開で、序盤の記憶があまりないほど。1ステはじわじわな展開でまだ鮮明な記憶がたくさんあるのだが、このステージは雨と一切緩まない展開しか覚えていない。序盤の登りで集団が2,3個に割れ、各々ローテを回して復帰を目指すが、自分は回せないで怒声をあびる。大きな集団になった時には、レースは10名ほどの逃げと、リーダージャージ擁するメイン集団に別れた。

 

形としては昨日と同じ展開になった。しかし今日は逃げ集団にNIPPOの外人選手が二人入っているため、Shimanoも初っ端から全力で追走している。集団内でもかなりきつい。逃げの意志が統一された集団と、リーダー擁するShimano、ブリッツェン、韓国ナショナルが作るメイン集団のペースは互角といったところ。下り基調=楽、雨のレース=集団緩む、そんなイメージとはまるっきり真逆な展開でレースは進行する。逃げ集団についたMavicのサポートカーがちらちら先に見え逃げ集団のいい目印になっているのだが、その差がなかなかつまらない。ということはかなり強力な逃げだったということがわかる。とても緩む気配を見せない展開が続き、レインジャケットを脱ぐタイミングも見つからない。今年の審判は絶対に集団の真後ろに来てくれないので、最後尾からさらに離れた部分に行かないと水をもらったり荷物をあずけることができない。しかしバタつくのがつらいので脱いで、しょうがないのでおなかの中に入れたまま走る。そんな厳しい展開のまま集団は最初のKOMに突入した。

 

最初のKOMは北海道らしいゆるい勾配が続いており、まるで平地のようなスピードで駆け抜ける。一列棒状で団抜き状態の逃げ集団が前方に見え、それを追う集団も一気にペースアップ!強度的にこの追いかけっこもそう長く続けることはできないだろう、ここで逃げを吸収しないと逃げ切りの可能性が高まる。集団の緊張度は今大会MAXになり、長く伸びた集団は張りつめた糸のよう。前にいる実業団チームの選手がどうにも千切れそうな走りをしていて前に行きたいのだが、緊張状態の集団では前に行く余裕とスペースがない。ちなみに殺気のこもった集団に対向車線の車は驚いたのか、車が急に止まり、後ろの車に追突される事故が起こっていたりもしていた。あれは僕らが原因なのだろうか。

 

何とかひたすら耐えていたが、逃げを射程圏内にとらえると、集団前方が一気に活性化。60名ほどの集団が崩壊していく様は壮観だった。どうせ下りでまとまるだろうという楽観的な予想は外れ、うしろに取り残されてしまった。前に位置取りしていればトップ集団の空気から展開がわかったのだろうが、序盤で位置取りに失敗したことがすべてだった。完璧に「もう今日は止めようぜ」な30名ほどのグルペットになる。

 

もう今日は平和かな、と余裕が出てきた集団の面々はある事実に気づく、「今日めっちゃ寒い。」 一生懸命走っていると感じないものだが、いざ余裕が出ると感じるこの寒さ。しばらく半袖で走っていると、某実業団の選手に「寒くないの?北海道の選手は違うね〜」と話しかけられたりしたが、いやいや全然寒いですよ。雨の中ひたすらしんどい2時間を過ごしても、まだまだゴールまでは90キロあるし、寒いし、雨だし…。いま振り返ってみると、いままでで一番「しんどい」という言葉がしっくりくるレースだ。

 

そこから最後のKOMまでのアップダウンは比較的平和に進んだ。ペースが遅いので談笑している実業団選手もいたが、雨と厳しい寒さで全体的に無言な雰囲気。そして最後の山岳ポイントである馬追山に近づいてくると、前に数人の小集団が見えてきた。直に吸収するだろうと思っていたが、集団から数人がひょいひょいジャンプしていく。前に行こうか自分も迷ったが、KOMで追いつけばよいと思って登りを待つことにする。

 

そして馬追山への登りが近づいてきたので先頭に出て牽引する。終盤の勾配はかなり厳しいらしいので、そこでペースを一気に上げてジャンプし、ゴールまで小集団でいく作戦。うまくいけば総合順位が上がるはず。勾配がきつくなったところで一気に踏み倒す!台湾の選手などが追いかけてくるが引き離して前を目指す。

しかし、調子よく抜け出したはいいものの、すぐに頂上に到着してしまった。やばい、前に追いつくことはできなかった。思いのほか登りが短かった(試走してないので知らなかった)。「やばいやばい下りで追いつかないと」、そう思って下りに突入したのが間違いだった。

 

自分はいままで馬追山には行ったことがない。だからあそこの下りが危険だってことは知らなかった。無理なスピードで急なコーナーに突っ込んでしまい、コーナーが現れた時にこれはもうだめだと直感する。しかしこのままコースアウトして山から落ちるわけにもいかないので、無理にハンドリングして曲がろうとする。しかし今日は雨でウェットな路面、そんなことができるはずもなく、タイヤがグリップを失って地面に叩きつけられ、そのままいくらか滑ったあと側溝にはまって止まる。最後の最後でやってしまったわけだ。

 

意識を失ったわけではないので、すぐに体を起こして自転車を側溝から引き上げる。右肩がかなり痛いが、すぐに自転車のチェック。STIが曲がっている以外は走れそうだとすぐに確認して安心する。しかしあらぬ方向に曲がっているSTIを力をこめて元に戻そうとしたとき、自分の体が一番ダメージを受けていることに気付く。右肩に激痛が走り、力が入らないことに気づく。このときは肩を脱臼したのだと思っていたが、実際は肩に近い部分で鎖骨が折れてずれてしまっていた。後ろから集団が下ってきたので、通り過ぎた後なんとか再スタートをする。走り出したのはいいが下ハンをもつと痛いし、ブレーキレバーを握っても痛いし、ダンシングをすると激痛で叫びたくなる、とにかくブラケットにおいているだけでも痛いので下りに集中できずついていけない。少し遅れるが、下りきって平地になったので気合で踏んで集団にくっつく(このときは本当にしんどかった)。でもリタイアすることは頭に浮かばなかった。ここまで頑張っ
て走ってきて、降りるのは死んでも嫌だった。ここまで走ってきた選手だったらみんな同じ選択をしたに違いない。

 

下りきってからの30キロは人生で一番長い時間だった。雨と寒さが肩に鈍い痛みを与え、コーナーでのダッシュ毎に激痛が走り、忘れることができない。幸いゴールまで直角コーナーが少なく、平坦基調なのでなんとかついていくことはできたが。畑が広がるのどかな風景を、痛みで発狂しそうになりながら耐える。農道を抜け広い道路に出ると、横風で集団が斜めになって苦しくなる。でもこの広い道路の先はゴールの公園があるのは知っていた、だからこの見覚えのある道路に出た時ゴールへとたどり着く希望が出てきた。だからといって油断することなく、最大限の注意を払いつつ残された距離を走った。ゴールへとたどり着いたときは、生きて帰ってこれたことに安心した。でも右肩がどうしようもないのがわかって
いたから、うれしさとかはなかった。

 

 

ゴール後すぐに病院へ。日曜なので大変だったが何とか整形の専門の医者に看てもらった。

ツールド北海道を知っている先生だった。折れていること、手術が必要なことを告げられがっくりする。もちろん明日走るのも止められた。来年またがんばりなさいと(そういうものでもないんだけど)。まぁ、言われたことにハイハイうなずきながらも、明日は絶対に走ることに決めていたわけですが…。

 

次は最後の第4ステージ、苦笑いのモエレ沼