北海道大学自転車競技部の練習日記

北海道大学体育会公認の自転車競技部の練習日記です。部員がそれぞれ記事を投稿していきます。

お久しぶりです。前回の投稿から相当間が空いてしまいました…申し訳ありません。

いよいよ年末となりました。唐突ですが、まだ反省を述べていないツールド北海道について振り返ってみようと思います。今後の参考になれば嬉しいです。

9/1,2,3に開催されたツールド北海道に出場しました。このレースのために、最善な対策を可能な限りしてきましたが、残念ながら完走することができませんでした。支えてくださった北大チームのサポートの方々や応援してくださった方々に申し訳無い気持ちで一杯です。一方で、このレースを通して様々な経験をさせていただきました。その機会を与えてくださった方々に感謝致します。

少々長くなりますが、レースレポートについて述べたいと思います。

・1日目

    この日は、午前に1kmのタイムトライアル、午後に札幌から朝里峠、毛無峠、赤井川を経由して倶知安ゴールの111kmを走るレース。午後のレースに向けて脚を温存するため、午前のTTは全力を出さないで、そこそこのペースでいく作戦。TTのコースは向かい風のため、出力をいかに出さないで速度を出すか、かつ空気抵抗をできるだけ受けないフォームを考えて臨むことを意識した。結果としてはぼちぼち。午後のレースが肝心なので、TTが終わったら、それに向けダウンをし、炭水化物を摂りながらリラックスした。

そして、第2ステージ、111kmのコース。コース長が短く、落ち着かないレースになるだろうと予想。また、序盤のアップダウンと中盤から終盤にかけ長い登りが3箇所あり、恐らく3日間のレースで一番キツいだろうと思った。リアルスタートが切られ、最初のアップダウン区間で一気にペースが上がり、無酸素運動状態。早くも疲労がじわじわと溜まっていった。気づいたら集団の最後尾に。こんなところで千切られる訳にはいかないと必死になって喰らい付く。このようなアタックが、さっぽろ湖手前まで続いた。それからは落ち着いたが、湖畔で50km/hほど出ており、プロのスピードを実感した。少し気持ちに余裕が出て来て周りを見ていたが、アマチュアのレースと違い、手信号や声掛けによる合図(ブレーキ、右など)が全くなかった。雰囲気で動いてる感じがあった。しばらくして、朝里峠の登りが始まる。ペースがじわじわ上がっていき、スキー場の手前でペースが爆上がり状態となった(多分平均して6w/kg~は出ていた)。脚がさっきのアタック合戦でかなり削られたせいで、耐えきれず置いてかれてしまった。このとき、自分が中切れを起こしてしまい、隊列に入れてくださり、後ろにいた入部さんに注意された。すみません…  自分が保てる最速のペースで、程なくして峠の頂上を通過し、下りでクラウチングスタイルをとりながらこなした。Rがキツいコーナーを過ぎるとレヴォーグの隊列が見えた。これは追い付けると思った途端、後ろから道選の勇人さんが追い付いてきて、一緒に集団復帰することに。何とか毛無峠の登り始めで集団に追いつき、休めるかと思ったつかの間、補給場の前の登りでペースが上がり、脚がなくて死んだ。一応補給は取ったが、辛くて飲食物が喉に入っていかなかった。ハンガーノックになっては元も子もないので、頑張って詰めた。そして置いてけぼりに。千切れた選手がパラパラと降ってきて、パスしていき、同じ北大チームの木村さんが見えた。凄い安心感があった。その後、彼と合流し、近くにいた(主に)学生の選手とグルペットができ、毛無峠を登る。ペース的には、4w/kgもいってないくらい緩いペース。正直、こんなペースで大丈夫か?と不安になった。登りの途中で、道選のサポートカーもいて、コーラをいただいた。ありがとうございました。集中力が増し、回復した。そして、後ろに北大チームの選手がいたような気がしたが、気のせいか?いや、気のせいではなく、毛無峠の頂上辺り?で、ずーさんが合流した。心強かった。このまま、毛無峠を下り、赤井川の4km程の登りに入る。ここで、タイムオーバーの危機を感じたのかグルペット内で焦りが生じ、協調性が乱れ、明治とグリフィンの選手が、先に行ってしまった。そして、それにつられるような形で北大チームの二人も行ってしまった。このとき、北大のサポートカーもいて、先行する北大チームの選手につく。僕と日大の選手がどんどん遅れ、完全に見放されたと思った。気づいたら、後ろにコミュッセールと回収車がいた。日大の選手のペースが落ち、いよいよ一人に。僕のツールはここで終わるのか!?いや、終わらせない。ここまで来たからには例え脚が無くても絶対完走してみせると自分に言い聞かせ、残り20km程を単独走。ゴールまで、ほとんど記憶がない。ただ、コミュッセールの方に励まされたのは覚えている。凄い力になった。そして 、最後の長い直線、ゴールが見えた。やっと辿り着いた。第2ステージ完走が確実となり、達成感というより疲労感と安堵に包まれながらゴールした。111kmといえど、自分にとって様々なエピソードがあった。ゴール後は疲労困憊だった。トップから22分遅れで、このステージにおいて最後の完走者となったが、諦めずゴールに辿り着けたことは僕にとって大きな経験となったはず。その日は、とりあえず風呂、夕飯を済ませ、明日に向けてすぐ就寝した。

・2日目

    ニセコのヒラフスタートで、長い登りがある新見峠を通り、下って尻別川沿いを往復して、羊蹄山を1周してスタート地点に戻ってくる第3ステージ、コース長180km。序盤のアップダウンと新見峠を過ぎれば、後はほとんど平坦。完走するポイントは、新見峠を集団でこなすことだった。結論から言うと、これを達成することが出来ず、DNFとなってしまった。

レース前、脚の疲労は感じなかったが、腰に違和感があり、万全な状態といえなかった。しかし、ネガティブには考えず、前向きに、自分に自信を持ってスタート地点に並んだ。号砲がなり、リアルスタートが切られると、案の定アタック合戦。キツいペースだったが、前日のアタックと比べ、切れがなかった気がした(登りで6w/kgくらいか?)。出力に関してはそこまでではなかったが、腰がじわじわと痛みだした。そのせいで集中力が乱れてしまったのか、下り鋭角コーナーの立ち上がりで後ろの隊列に付き損ねてしまい、置いてかれた。気持ちが折れかけたが、片桐さんの応援に励まされ、レヴォーグの隊列にしがみつき、集団復帰した。幸い、アタック合戦は下り鋭角コーナーの立ち上がり後、間もなくして終えていたようだ。集団復帰したはいいものの、とにかく腰が痛かった。そして、新見峠の登りに差し掛かる。ペースはそこまで早くなかった(多分4w/kgくらい)。脚もきていたが、腰の痛みはますます酷くなっていった。道が細くなり、勾配がキツくなったところでのことだ。ずーさんと合流し、ずーさんの提案でサポートカーに頼ることになった。正直、集団についていったほうが峠を越えるまでは辛いが後々楽になると思うし、リスクが少ないと思ったが、ずーさんの提案で集団復帰できるだろうと考え、その提案に乗った。これが、僕にとっての分かれ目であっただろう。新見峠以降は、カーペーサーを利用したが、僕たちの後ろにコミュッセールが付いており、度々注意されてしまった。結局、ずーさんと二人っきり。脚は多少残ってはいたが、腰が痛くて上手く踏めない状態で、ほとんどずーさんに牽いてもらった。牽いてもらってはいたが、バイクを安定させることが出来ず、フラフラしていたので、上手く付けなかった。そのような状況が85km?地点くらいまで続いた。85km?地点からはサポートカーが復活したが、自分の体が限界で、付いていくことができなかった。それからは、ひとりぼっち。完全にDNFが見えたが、走れるだけ走りたいの一心で踏み続けた。結局、100km?地点辺りで回収された。バイクから降りた時は腰が抜けて立てなかった。回収バスに乗ってからは、遅れた選手が走っているのを見ていたり、外の景色を見て茫然としていた。終盤、ずーさんが懸命に走っているのが見えた。最後まで走りきってほしい、と心の中で応援した。タイムアウトの心配がなくなり、完走が確実になったときは、チームの一員として嬉しかった。

という訳で、自分のツールはこのステージで幕を閉じた。

全力を出したという点では後悔はないが、やはり部の目標の一つであるツール完走を達成したい。来年のツールに向け 、完走できるよう対策をしていきたい。

ところで、今回のツールド北海道を経て、自分の弱みを実感させられたことが3つある。1つは、スタミナ不足。2つ目は、無酸素能力が低かったこと。3つ目は、筋肉(筋力)の偏りである。今となっては、それぞれどのように改善することができるかは明確である。当時、このレースのために有酸素域を重点に練習してきたが、練習方法に拘りすぎてはいけないと痛感した。これからは、苦手なメニュー、筋トレなど幅広く練習を行っていきたい。

最後になりましたが、良いお年をお迎えください。来年も応援よろしくお願いします。