よくよく考えたら鎖骨を折ってから処置らしい処置をしてもらっていない冨岡です、来週プレートを入れる手術らしいので、見かけたらどうか暖かいご声援を 笑。 今日テストが終わったのでツールド北海道のレースレポートをば。 去年の様子から最低限完走はできる水準には達していたる確信があったので、 今年はチャンスがあれば動きつつも最低限完走するのがテーマ。去年は集団の尻を走ってばかりだったので。 道東のツールは完走しやすいという定説があるが、日数が短くなり、長くなった一日のステージ距離と、少ないポディウムのチャンスを求めて延々と続く激しい展開に、もはや過去のetcはあまり意味をなさなかった(去年も第2ステージで大量の選手が終わりましたが)。 〜第一ステージ〜 帯広ー多和平 198キロ とても長い一日になった。というわけでレポートも長いです。 長丁場の為朝飯を大量に掻き込んで、スタート地点の帯広市中央公園へ。トイレの混 カメラマンの高木さんに「緊張してない?」と声をかけられ、「完璧に役不足です」と素直に答えられたあたり、そこまで緊張はしていなかったと思う。 そうこうしている内にスタート前の、あのテンションの上がるBGMが流れ出す。このBGMをもう一度聞きたいから今日を生き残ろうとか考えつつ、スタートの号砲で集団は走り出した。 十勝大橋を渡ってリアルスタートが切られると、集団はいつものようにアタック合戦が始まったので自分は後方に潜む。この日は夏の北海道全開の陽気で、去年の第一ステージ同様走っているだけで体から水分が抜けていく。早めにオフィシャルの水を確保しようと後ろに下がるが、バイクが去年のように集団最後尾に来てくれず、しかも50キロ以降でないと配布しないとのこと。これには結構選手がブーブー言っていたし、集団がゆるまないので水をとるのも難しい。決定的な逃げが決まらずレースは進むが、45キロ前後でシェルヴォ奈良が単独で抜け出し、これを追ってマトリックスとオーストリアで二名の追走。集団は一旦落ち着いた。 何もないちょっとした登りでヒョイと上がっていく選手がいたので、真似して自分はもっとジャンプしたら一気に集団先頭へ。何故か先頭を引くことになったが、マトリックスが蓋をしてきたので回らない。ここにいても特に意味ないなーと思いつつ先頭に居続けたらアタックするにはもってこいの坂が登場。頭の中でふんぎりをつけていったという感じではなく、気が付いたらアタックしていたという感じ。なるしまの選手がついてくる。 二人で回すとすぐに前の二人を吸収して四人に、四人で先頭を追うが集団も追いついてきて吸収されてしまう。集団はお見合い状態になったので、まだまだ先頭で展開することに。いつの間にか10人ほどの逃げにまた乗る。ここらへんの記憶が全くないあたり、かなり緊張して冷静さを欠いていたのだと思う。この人数の逃げは絶対決まらないのだけど、まぁそう考える余裕もなかった。 集団からどんどんブリッジをかけてきて逃げは25名ほどになり実業団選手の中でもトップレベルがうようよいるので集団に追われようがローテを回して猛進。40分くらい逃げた後きつくて頭がボーっとしてきた。今考えるとかなり水分が不足していたのではないかと思う。 これでは持たないと後半を考えて意図的に千切れて集団へ戻った。流して待っていると、うしろからはさらにブリッジでシマノ西園選手、法政早川選手などを含んだ小集団が次々に飛んでいった。 力のある選手がどんどん前に飛んでいく感じになり、これはちょっと不味いなぁと思いつつ集団に合流。案の定集団はかなり殺伐としていて、まずうちのチームメイトがいない。道選抜も大坪君曰く「もう三人いない」とのこと。飛んでいく力がない選手達の集団が必死に前を追う厳しい展開、まったく休めない。 ここまでの冷静さを欠いた走りの付けか、足がビリビリしてくる。水分補給をしてもすぐには効いてくるわけではないので、FZ手前で千切れてしまう。千切れ間際にバイクから水をもらいつつ、あとはサポートカーとともにゴールを目指す。一度足が止まりかけたが、あらゆる手段を講じて走る。千切れた選手と合流しつつ、双岳台への登りで足がようやく再起動し、他の選手よりも余裕が出てきた。ゴールにたどり着く望みが湧いてきた。グルペットは大きくなりKOM付近で15名ほどに。 結局この集団で命からがらゴールへとたどり着いた。第一声は「死ぬかと思った」。そんなレースでした。 この日は40分以上遅れた選手も救済されるなど、すべての選手が消耗するレースになったと思う。 しかしこの日はこれで終わりではなかったのだった。 次の記事は第2ステージではありません。 |