北海道大学自転車競技部の練習日記

北海道大学体育会公認の自転車競技部の練習日記です。部員がそれぞれ記事を投稿していきます。

Tour De Hokkaido 2017

おはようございます、こんにちは、こんばんは。長澤です。

ツールド北海道が終わり、これまで色々用事があり、中々筆が進まなかったのですが、ようやく落ち着いてきたので、ツールド北海道前どのように過ごしてきたか、レース中も含め3日間どのように過ごしたか、ツールド北海道に関する反省点(選手だったので、ほぼ全てレースのことになります。)を以下に述べます。私的なことが大半です。長いので飛ばして読んでもらっても結構です。また、レース以外の反省点などは、これとは別に上げようかと思います。

①ツールド北海道前のこと

ここでは、どのような練習をしてきたかを述べようと思う。遡ること1年前。僕は初めてツールド北海道に出場し、完走を目標に走ったが、達成できなかった。経験が全くという程なく、フィジカルもそこまでなかったために相当不利な状況であった。しかし、この状況下でツールを走って、得られた経験・反省点が沢山あった。1つ目は、ジャージの力に負けず、アタック合戦やペースアップなどの重要な局面で、萎縮して集団のケツにつかないこと。2つ目は集団の密集にビビらないこと。割り込まれても冷静に対処すること。3つ目は、市民レースでは味わえないスピードに慣れること。4つ目は、集団から遅れても焦りは禁物で、チームカーを使って復帰すること。5つ目は、補給の際、周りをよく見つつ、サコッシュを取るところから捨てるまで上手く扱うこと。6つ目は、アタック合戦と最後のペースアップが場所によっては殺人的になる場合があること。ざっくり言うと、まるでエリートかそれ以上のレベルのクリテリウム。何か書き忘れているものがありそうだが、市民レースを走るだけでは得られない経験ばかりだ。その経験を来年に活かせればと思い、今年のツールに向けて練習に励んだ。まずは、自分のフィジカルを上げていかねばと思い、去年のツールで自分に足りなかった点を、ツールやそれ以前の練習などのログを見ながら洗い出した。1つ目は無酸素能力が低いのとインターバル耐性がないために、序盤のアタック合戦で脚がなくなったこと。2つ目はそもそもの閾値が低いこと。プロと比べたら当然だが、かなり劣る。3つ目は筋力不足。主にこの3点は、要改善であった。そして練習スケジュールを立てた。その内容を長々と書いてみる。去年の秋から冬にかけて学連のクリテリウムがあったので、モチベーションを程々に維持して、学校にあるパワーマックスで無酸素域のインターバルや、体幹中心の筋トレを行った。練習できたのは、平均して週2.5くらいだろうか。1月末になって、若干効果を感じたくらいだった。その代わり、距離耐性はかなり落ちてしまい、帰省した2月上旬に土台作りも兼ねて、2~3時間LSD程度で自転車に乗ってみるも、すぐ疲れてしまった。鹿児島での合宿、鴨川合宿を控えていたので、少しでもマシになるようにLSDをできる限り行った(勿論、L4以上のメニュー練も少々取り入れた)。徐々にスタミナをつけることができ、迎えた合宿ではそこそこ走ることができた。二つの合宿を終えて距離耐性がつき、ピークパワーも若干上がった。それから、4月5月はシーズン前に作ったベースを活かして、メニュー練を沢山行うことにより、ピークパワーを底上げした。上手くいき、特に15分は1ヶ月で30w更新した。6月7月は底上げしたパワーを長距離でも活かせるように、強度高めのロングを取り入れる予定だった。しかし、脚の負担が大きかったためか6月上旬に膝の炎症を引き起こしてしまい、1ヶ月程休養することに。日常生活でも支障をきたし、ほとんど座りっきり、寝たっきりで運動は全くしなかった。怪我明けに、自転車に跨がってみると違和感しかなく、近所を走って様子見で踏んでみると全然パワーが出なかった。有酸素域に関してだが、ピークパワーの-40wくらいにはなっていた。悔やんでも仕方ないので気持ちの整理はすぐにでき、練習を再開した。7月のレースの成績は芳しくなかったが、徐々に調子を戻すことができ、順位も少し上がった。夏休みに入ってから、練習計画で少し迷ったが、ピークパワーを上げる練習より、距離耐性をつける、無酸素系のインターバルの割合を増やすように(主に乳酸除去能力向上を狙って)トレーニングした。函館での北大ツール合宿では、調子は完全に戻ってなかったが、怪我明けよりは明らかに走れてる印象だった。合宿が終わってからは、徐々に距離を減らしていき、L4~のメニュー練を中心に行った。一度、実践形式で180km程のロングを走ったときは、かなりインターバル、距離耐性がついたことを確認できた。ただ、ピークパワーはそこまで上がっておらず(怪我明けの+20wくらい)。そこそこ良い状態でツールを迎えられた気がする。不安はあったが、去年の自分よりは強い自信があった。

②ツールド北海道当日

7日に函館入りし、選手は翌日からのレースのために脚の状態を確認した。皆調子は良さそうだった。サポートの方々が忙しく働いている傍ら、申し訳ないなと思ったが、せっかく一生懸命仕事をしてくれているのだから、完走やチーム成績を残せるように頑張ろうとレースに気合いが入った1日だった。去年とは違って心構えができていた。リラックスして、その日は過ごした。

8日、寝起きは良くはなかった。安静時心拍数は45だった気がする。朝食はいつものように食べすぎず、ゆっくり食べた。この日は、第1ステージ。162kmを走り、函館競輪場を出発し、木古内、上ノ国、江差、中山峠、きじひき、北斗市運動公園前ゴールのコース。山場は終盤のKOMだなと確信した。また、アタック合戦がどうなるか少々不安だった。色々考えてはいたが、どうこう考えても仕方ないので、なるようになれという結論に至った。スタートで最前列を確保するため、アップは10分程度で切り上げ、早々に並んだ。緊張はそれほどせず、心拍数も60程度と落ち着いていた。号砲が鳴り、スタートすると恐らく逃げたいであろう選手達がポジションを上げてきた。自分は、後ろに下がりすぎず、ポジションを中程で保つようにした。リアルスタートが切られると、一気にスピードが上がったが、思ってたより全然キツくない。風向きが向かい風だからか。ちょっと逃げに乗ってみようかなと思ったが、後程のことを考えて集団に留まった。あっという間に木古内に着き、農道区間に入った。追い風になり、かなりのスピードが出ていた。一列棒状になり、中切れを起こしてしまうんじゃないかと不安になったが、余計な心配だったようだ。ちょっとした登りで、山本(元)さんが前にいたので、金魚の糞の如く、追ってみた。ちょっとキツいインターバルを何本かこなしていくと、気付いたらメイン集団は落ち着いていた。逃げが決まったようだ。北大チームの安否を確認したところ、全員いて安心した。あの土井さんが近くにいたので、挨拶程度で話しかけてみた。集団でぬくぬくしていると、補給ゾーンに近づき、ポジションを上げようとしたが、コーナーの入りが悪く、失敗した。結局補給は取れず、そのまま集団に戻った。江差に差し迫った辺りでペースが上がりだした。集団の中程に位置取ろうとしたところ、中山峠の登り口数km手前で中々派手な落車が発生。自分のすぐ前で起きたので、急ブレーキをかけ、選手と自転車を乗り上げて、停止した。チェーンリングが膝下に刺さった。鈍痛。幸い、機材はダメージを受けてなく、チェーンをはめ直して、再出発。走り出すと、のりと君が近くにいたので、一緒にローテをしながらサポートカーを待つことに。ブラーゼンの選手も近くにいたが、両者心を取り乱している模様。のりと君には完走できるから、落ち着いてと言っておいた。ペースで走っていると、サポートカーと宮崎さんがいた。ここからはカーペーサー。気付いたら韓国体大の選手がいた。緩斜面(登り)が少々キツかったが、斜度が程々な登りに入るとちょっと楽だった。ここで書けないことが色々あった。因みに登りは5倍くらいだった。KOMを過ぎ、下りに入ると、何故かトレンガヌの選手が1人増えていた。北大チームでもないのに2人車の後ろについているから、退かそうかなと思ったが、選手のリスペクトに反する気がしたので、そのままにしてしまった。自分の後ろについているのりと君と宮崎さんにキツくないかと度々聞きながら下った。スピードの割にはほとんど踏まずに済んだ。もうちょっとチームカーに乗っている人と選手が上手く連携とれても良かったかもしれない。もしくは、選手間でローテすべきだったかも。きじひきに入るところで、宮崎さんがオーバーランしかけたときはヒヤッとした。登りは5倍くらい。KOM前にNIPPOのジャージ(小林さん)を含むグルペットが見えた。追い付いたものの、流しモードに入っていた。コミュッセールは大分後ろだし、このグルペットが全員切られることはないだろうから、KOM後の下りに気を付けながら安心してゴールに向かった。平地でグルペットで走ってるとあのTAOKASに乗った金子さんがいた。ちょっとだけ挨拶した。余力を残してゴール。膝の治療をしようとしたところ親にばったり遭遇。親は完走をしたことに喜んではいたが、自分はあまり嬉しくなかった。軽く流して、レヴォーグでホテルへ向かった。もし、落車してなかったら自分はどこまで通用しただろうかと考えてみると心残りであった。でも、気持ちをすぐ切り替えて、明日のレースのために夕食とミーティング、マッサージを済ませて就寝した。

9日、目覚めは悪かった。安静時心拍数も昨日と変わらず。朝食はゆっくりと。この日は、第2ステージ。185kmを走り、昨日のゴール地点を出発し、木古内、知内、松前、上ノ国、木古内ゴールのコース。自分達にとっての肝は最初のKOM、松前を過ぎたアップダウン区間、2つ目のKOMであった。前日同様、最初の海岸線は向かい風なので、アタック合戦は無難にこなせるだろうと予想した。話は変わって、会場に着き、少しのんびりしてからアップを10分程度で済ませ、スタート最前列を位置取った。この日も落ち着いていた。号砲が鳴ってスタートすると、後ろに下がりすぎないようにした。リアルスタート後、例のごとくアタック合戦が始まった。今日もキツくない。アタックに乗ってみようかなと思い、集団の前の方に行き、逃げを潰すのを1,2回したが、決まらないなと察して、集団の中に埋もれた。そして、2年使ってきた赤ガーミンがどこかへ吹っ飛んで行った…。アタック合戦は1時間少々続いて、KOM手前でようやくおさまった。KOMは緩いペースで進み、BSアンカーが集団コントロールしていた。再び海岸線に出て、しばしば、インターバルがかかるが、全体的に緩い。松前を過ぎ補給所に着くと、集団の後方でサコッシュをゲット。取ったのはボトルのみ。ジェルも取ったつもりだったが、落としたみたいだ。手持ちの補給が少なかったので、道選の平田さんからありがたくジェルをもらった。7elevenの金子さんから水要る?と聞かれたが、断った。ちょっと申し訳なかった。危惧していたアップダウン区間は登りきったところでのペースアップが嫌だったが、全体的にそれほどペースが上がらず。ただ、1分に1回、背筋を伸ばすほど、腰が痛かった。ずーさんのアドバイスで、下りで番手を上げて、登りで番手を下げるというのもやってみたが、集団のペースが速くなかったので、脚の消耗を抑えられたかは不明。他の選手から不審な目で見られた。そんなこんなで、あっという間に上ノ国へ。ここから集団が活性化した。集団は縦に伸びた。近くに道選が固まっていたので、ただ乗りさせてもらった。速いけど、キツくはない。2つ目のKOMはそこそこのペースで。下りはなぜかペース抑え気味。この時、前に位置取っていれば良かった。ほぼ最後尾で田んぼ区間に入ると、嫌がらせのようにペースアップした。このまま、落ち着くことはなかった。自分のいくつか前で中切れされ、前を追ったが、右膝裏に激痛が走り、踏めず。そのまま前とズルズル離された。完走は確実なので、翌日に向けて無理はせず、ゴールまで走った。脚自体はそんなに疲れてなかったので、軽くダウンした。風呂、マッサージを済ませ、夕食は相変わらずゆっくり食べた。

10日、熟睡した。ガーミンがないので、安静時心拍数は確認せず。特別に鳥崎さんからガーミンを借りた。朝食はいつものように。この日は、第3ステージ。77kmを走り、函館空港、41号線、尻岸内、恵山国道を通って、函館山ゴールのコース。KOMを集団でこなせれば、完走はほぼ確実だった。函館山は個人個人のベストを尽くせるようなペースで走ることだった。 距離が短いので、逃げはできてもすぐ潰されるだろうという予想。集団一つで最後の函館山にたどり着き、そこが勝負所というのは明白だった。さて、会場に着くと腹痛のため、急遽トイレへ行った。そのため意外と時間はなくアップは数分で済ませ、スタートの最前列へ。自分の中で、無駄な緊張感があったが、極力無心でいた。号砲が鳴り、短いパレードを終え、すぐさまリアルスタートが切られた。このステージのアタック合戦が唯一辛かった。一瞬千切れるんじゃないかと思ったが、脚が一杯一杯になる前に落ち着いた。良かった。KOM近くの少し勾配が急になったところでペースが上がり、中切れに遭うが、回復して脚に余裕があったので、冷静に埋めて数人パックでKOMを通過。心拍数は高かったみたい。無事、集団に追い付き、そのまま集団でぬくぬくと。恵山国道では特に展開はなく、函館市街へ。函館山に近づくにつれ、ペースが上がっていった。気付いたら最後尾近くで、ポジションを上げれず、神社前の激坂に突入した。皆、物凄い勢いで飛んで行った。ついていったら、一瞬で乳酸まみれになる気がしたので、マイペースで登った。垂れた選手、役目を終えた選手を抜きながら、あっという間に函館山山頂に着いた。余裕を持て余さず、全力で行った方が良かったかもと後悔。でも、無事完走できて良かった。ゴール後は自分だけ祝杯した。

長かったようで短かったツールド北海道は、完走だけでなくチーム成績を残すという良い結果で締めくくることができました。手厚いサポートにより、レースに集中することができ、選手として役目を果たすことができました。3週間前の一件からは考えられない結果でしたが、これはチームを支えてくださった方々がいたからこそだと思います。

北大チームの監督を務めてくださった新納さん、メカニックの森高さん、そしてサポートしてくださった部員の方々、その他応援してくださった方々、本当にありがとうございました。